産地を代表する造り手。歴史と、つくっているワイン。
決まりの外に出た単一畑のワインが、17年後に子どもたちの手でバルバレスコへ戻るまで。
農家からぶどうを買ってバローロをつくっていた家が、耕されずにいた斜面を買い、自分で植え直すまで。
バローロで畑ごとのワインがもてはやされた時代に、「私たちの言葉にはクリュという語さえない」と言った人がいました。その家は…
村の司祭が19人の農家を集めて始めた協同組合は、出来のよい年だけ、組合員の畑を地名ごとに分けてワインにしてきました。
伯爵の館に呼ばれた若い醸造家の一言から、フランチャコルタの泡が始まりました。
どの醸造所も日々飲むワインをつくっていた時代に、農家の協同組合の醸造家は毎年の瓶を黙って取り分けていました。
アルプスの谷の町トレントで、シャンパーニュに学んだ男が始めた泡。その名前と蔵は、1952年、ぶどうを育てたことのないワイ…
ヴェローナの北の谷で、収穫を地主と分け合う小作人だった父が、ようやく自分の畑を持ちました。その畑を継いだ息子は、亡くなる…
プロセッコに収穫年と畑の名前を書いてきた家が、石垣の中の畑から、プロセッコらしくない泡を生みました。
国境の丘で最新の設備をそろえた醸造家は、収穫のほとんどを雹に奪われた年に考えを改め、ジョージアから素焼きの甕を運びました…
チンクエ・テッレの農家は、つくったワインを仲買人の言い値で手放していました。1973年、20人ほどが集まって協同組合をつ…
1860年、モデナの町なかのトラットリアで、店の主人が隣の蔵でつくったランブルスコを出していました。その家は100年ほど…
アメリカに畑を探していた男が、母から受け継いだ海辺の土地に戻ってくるまで。
家族と友人だけで飲まれていた赤ワインが、自分だけの原産地呼称を持つまで。
フィレンツェとシエナの境の丘に、リカーゾリ家は900年ちかく畑を持ってきました。19世紀、この家の男爵が手紙に書いたぶど…
一つの家のやり方から、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノという原産地呼称が始まったとされる。
丘の上の一枚の畑から、決まりの外で出された赤ワインが、決まりが追いついたあとも元の名前に戻らずにいるまで。
祝いの日に家で開ける甘口ワインのぶどうだったサグランティーノ。その古い株を町の庭や捨てられた畑に探しに行ったのが、繊維業…
海と山にはさまれた丘の村で、白ぶどうを足で踏み、瓶を蔵に寝かせ続けた人がいました。その蔵には、いまも30万本を超える古い…
戦争で樽を壊された蔵を18歳で継いだ人が、土地のぶどうを選び直しました。
エトナの山腹は、向きによって雨の量も土の古さも違います。ベナンティは、その違いを一つの家の畑で見せてきた生産者です。
ウチワサボテンの生け垣に囲まれた3ヘクタールの畑から、島のぶどうだけでつくる赤ワインまで。サルデーニャ南部の一家の話です…
