Vino Storia

ワインのお話

クレト・キアルリ

クレト・キアルリのワイン一覧


クレト・キアルリとは?

クレト・キアルリ(Cleto Chiarli)は、イタリア北部のエミリア=ロマーニャ州モデナ(Modena)で、ランブルスコ(Lambrusco)をつくってきた家の名前です。ランブルスコは、弱い泡の立つ赤ワインやロゼワインになる黒ぶどうの一族で、この家のワインもほとんどが泡のあるものです。

一家の会社は「キアルリ1860(Chiarli 1860)」といい、モデナの町の醸造所で、契約する農家や協同組合のぶどうからワインをつくっています。そのうち、一家が自分で持つ畑のぶどうだけでつくるワインに、創業者の名前を付けて出しているのが「クレト・キアルリ」です。醸造所は、モデナの南の丘のふもと、カステルヴェトロ・ディ・モデナ(Castelvetro di Modena)にあります。


平野と丘の畑

ランブルスコの産地は、ポー川の南に広がる平らな土地と、その南の端でアペニン山脈が始まるあたりの丘です。公式サイトによれば、クレト・キアルリの畑は性格の違う三つの場所にあります。

緑の草地のあいだを細い道が曲がりながら続き、右手のゆるやかな斜面に、まだ葉の出ていないぶどう畑が支柱を並べている。遠くに白い花の咲いた木と農家が見える
カステルヴェトロ・ディ・モデナのモンテバレッロの道。芽吹く前のぶどう畑が、ゆるやかな斜面に並ぶ(2026年3月)Giorgio Galeotti / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons(長辺1280pxに縮小)

中心は、カステルヴェトロのトゥヌータ・チャルディーニ(Tenuta Cialdini)です。アペニンの最初の丘へ上がっていく、標高200〜350メートルのところに、50ヘクタールあまりの畑が広がります。土は、昔のグエッロ川(Guerro)が運んだ土砂がもとになっていて、表土は50〜60センチほど、細かい砂と泥に砂利が混じります。風がよく通り、昼と夜の気温の差が大きいとキアルリは説明しています。ここで育てるのは、色が濃く渋みのあるグラスパロッサ(Grasparossa)です。

北の平野では、セッキア川(Secchia)の左岸にあるトゥヌータ・ソッツィガッリ(Tenuta Sozzigalli)で、色の淡いソルバーラ(Sorbara)を育てています。川が運んだ土の上にある畑です。もう一つ、スピランベルト(Spilamberto)にもグラスパロッサの若い畑があります。

雲の多い空の下に、草地の平らな土地が地平線まで続き、遠くに農家の建物と並木が小さく見える
ソッツィガッリに近い、セッキア川沿いの平野。見渡すかぎり平らな土地が続く(2016年6月)Giorgio Galeotti / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons(長辺1280pxに縮小)

カステルヴェトロの館、ヴィッラ・チャルディーニ(Villa Cialdini)は、イタリア統一の戦いで知られた将軍エンリコ・チャルディーニの住まいでした。一家は1898年にこの館と土地を買っています。


瓶の泡から、タンクの泡へ

1860年、クレト・キアルリは妻のルチアと子どもたちを連れてモデナに移り、旧市街でトラットリア・デッラルティリエーレ(Trattoria dell’Artigliere)という、宿と店のついた食堂を開きました。店で出すランブルスコは隣の蔵でつくり、評判がよかったので、店のための醸造所を建てる許しを得ています。一家はこの年を創業の年としています。

ランブルスコの決まりの文書は、この頃の泡のつくり方を書き残しています。19世紀の半ばから20世紀の半ばまで、泡のあるランブルスコをまとまった量でつくるには、瓶の中でもう一度発酵させるのがふつうでした。そうしてできたランブルスコは濁っていて、底に沈んだ澱も抜いていなかったといいます。同じ文書は「1860年、モデナでエミリアで最初の泡のランブルスコの醸造所が動き始めた」とも書いています。会社の名前は出していませんが、年と町はキアルリの創業と重なります。

キアルリは、泡を逃さないためにキノコ形の栓を取り入れ、1900年には栓を縛る機械を入れたとしています。同じ1900年のパリ万国博覧会で賞を受け、年に10万本を超えるランブルスコを瓶に詰めていました。

それでも、瓶の中で発酵させるやり方には限界がありました。公式サイトは、カステルヴェトロのグラスパロッサについて、昔ながらの瓶の発酵では荒々しい味になることが多く、澱も多いので、地元で飲まれるだけのワインだったと書いています。

一家は、第二次世界大戦で爆撃を受けたモデナの醸造所を立て直したあと、泡のつくり方を変えます。キアルリによれば、1952年、州で初めて「オートクレーヴ(autoclave)」と呼ばれる、圧力に耐える密閉したタンクを入れました。泡をタンクの中で生ませてから瓶に詰めるので、濁りも澱もありません。一家の説明では、搾ったぶどうの果汁を冷やして発酵を止めておき、それをタンクの中で一度だけ発酵させて泡にします。いつ開けても、できたてのようなワインにするための工夫だといいます。

公式サイトは、これでグラスパロッサのさわやかさや果実の香りが引き出され、地元の外でも飲まれるようになったとしています。イタリア政府観光局も、いまのランブルスコはこのタンクの方法でつくるものがいちばん多いと書いています。

2002年、一家はヴィッラ・チャルディーニに新しい醸造所を開き、自分の畑のぶどうだけでつくるワインを「クレト・キアルリ」の名で出し始めました。


代表的なワイン

「ヴィニェート・チャルディーニ(Vigneto Cialdini)」は、館のまわりの畑のグラスパロッサでつくる、ランブルスコ・グラスパロッサ・ディ・カステルヴェトロ(Lambrusco Grasparossa di Castelvetro)DOCの赤ワインです。DOCは、産地や品種、造り方を国が定めた原産地呼称です。果汁を皮ごと低い温度で1日半ほど置いて色を引き出し、密閉したタンクでゆっくり泡にします。キアルリの説明では、色は紫がかった濃いルビーで、ブラックベリーやラズベリー、カシスの香りに、土や森の下草のような香りが重なります。辛口で、アルコール分は11%です。

「ヴェッキア・モデナ(Vecchia Modena)」は、ソッツィガッリの畑のソルバーラでつくる、ランブルスコ・ディ・ソルバーラ(Lambrusco di Sorbara)DOCです。圧をかけずに流れ出た最初の果汁だけを使います。色は澄んだ濃いピンクで、イチゴや張りのあるサクランボ、ザクロの香りがあります。キアルリは、このラベルを、瓶詰めされたランブルスコの記録として知られるうちでいちばん古いもの(1890年)としています。

「メトド・デル・フォンダトーレ(Metodo del Fondatore)」は、名前のとおり「創業者のやり方」でつくるソルバーラです。タンクを使わず、瓶の中でもう一度発酵させ、澱を瓶に残したまま出します。キアルリによれば、色は濃いピンクで、酵母のために自然に濁っていて、果実の香りにパンの皮のような香りが混じります。タンクの泡でランブルスコを広めた家が、創業者の名前を付けたワインでは、瓶の中の泡に戻っています。

キアルリの案内によれば、モデナではランブルスコを、揚げたパン生地のニョッコ・フリット(gnocco fritto)や薄焼きのティジェッレ(tigelle)、生ハムやサラミ、詰め物のパスタと合わせます。冷やして飲み、ヴェッキア・モデナは10〜12℃、フォンダトーレは12〜14℃をキアルリはすすめています。


訪ねるには

見学と試飲は、カステルヴェトロ・ディ・モデナのヴィッラ・チャルディーニで受け付けています。2026年10月6日に公式サイトで確かめた内容では、予約制で、受け付けは月曜から金曜です。畑と醸造所をめぐるツアーや試飲は1人15ユーロからで、1〜2時間かかります。2025年に開いた「ガッレリア・キアルリ(Galleria Chiarli)」では、一家に残る古い瓶やラベル、書類を見られます。モデナの町から近く、エミリア街道からも行きやすい場所です。条件は変わるため、訪ねる前に公式サイトで確認してください。