Vino Storia

ワインのお話

バルトロ・マスカレッロ

バルトロ・マスカレッロのワイン一覧


バルトロ・マスカレッロとは?

バルトロ・マスカレッロ(Bartolo Mascarello)は、北イタリアのピエモンテ州、バローロ(Barolo)の村にある小さなワインのつくり手です。1919年にジュリオ・マスカレッロ(Giulio Mascarello)が自分の醸造所を開き、息子のバルトロ、その娘のマリア・テレーザ(Maria Teresa)へと受け継がれてきました。つくっているのは、ネッビオーロ(Nebbiolo)という黒ぶどうのバローロと、この土地のふだんの赤ワインです。

この家のバローロは、毎年1種類しかありません。村のまわりに散らばる四つの畑のぶどうを合わせて、1本にしています。1980年代、バローロでは畑ごとに瓶を分け、畑の名前をラベルに書くことが流行しましたが、この家はその流れに加わりませんでした。


四つの畑と、バローロの村

バローロの村は、アルバ(Alba)の街の南西に広がるランゲ(Langhe)の丘の中にあり、谷あいに家が寄り集まっています。マスカレッロ家の畑は、村の中のカンヌービ(Cannubi)、サン・ロレンツォ(San Lorenzo)、ルエ(Ruè)の三つと、北どなりのラ・モッラ(La Morra)の村にあるロッケ・デッランヌンツィアータ(Rocche dell’Annunziata)です。2023年の記事によれば、畑は合わせて5ヘクタールほどです。

手前に葉の茂ったぶどうの木の列があり、その先の谷あいに赤い屋根の家が集まった村、さらに奥に畑の丘が続く
バローロの村を見下ろすネッビオーロの畑(2011年6月)Megan Cole / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons(長辺1280pxに縮小)

カンヌービは、バローロの村の中でも古くから名の知られた丘です。畑の地名がワインの値打ちを左右するようになると、その範囲をめぐる争いも起きました。カンヌービを名乗れる範囲を広げようとする申し立てに、マリア・テレーザは畑の持ち主の一人として強く反対しましたが、イタリアの最高裁判所は広げることを認めました。

斜面いっぱいに緑のぶどう畑が広がり、左手に小さな小屋、右下に畑の名前を記した白い標識が立っている
カンヌービの丘の斜面。手前に畑の名前を記した標識が立っている(2011年6月)Megan Cole / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons(長辺1280pxに縮小)

祖父と父と娘

ジュリオの父バルトロメオ(Bartolomeo)は、バローロの村の協同組合の醸造所で醸造長を務めていました。ワインジャーナリストのケリン・オキーフ(Kerin O’Keefe)によれば、第一次世界大戦が終わったころ、バローロをつくっていたのは十数軒の大きな醸造所で、小さな農家はぶどうを売るだけでした。ジュリオは1919年に自分の醸造所を開き、すぐにワインの一部を瓶に詰め、残りを大きなガラスの容器で売ります。1930年代には、カンヌービなどの畑を自分で買いました。自分の畑のぶどうで自分のバローロをつくる家としては、ごく早い例の一つだったとオキーフは書いています。

息子のバルトロは、第二次世界大戦のさなか、十代でパルチザンとしてドイツ軍と戦い、1945年に家業に入りました。のちにドイツから来た客に、「昔はあなたがたが私を追いかけ、いまは私のワインを追いかけている」と冗談を言っていたそうです。バルトロはつくったワインをすべて瓶に詰めると決め、1960年代には、この家のバローロは産地の手本と見られるようになっていました。

1980年代の終わりから、新しい小さな樽(バリック)で熟成させた、色が濃くバニラの香りのするバローロが評論家にもてはやされます。バルトロは大きな古い樽を手放さず、同じ考えのつくり手二人とともに「最後のモヒカン族」と呼ばれました。晩年は病気で出歩けなくなり、手描きのラベルをつくるようになります。なかでも「No Barrique, No Berlusconi(バリックはいらない、ベルルスコーニもいらない)」と書いたラベルは、樽の流行と当時の首相を一度に皮肉ったもので、2001年の選挙のときにはアルバの店先から警察に押収されたといいます。

バルトロは2005年3月、78歳で亡くなりました。醸造所は1990年代のはじめからマリア・テレーザが率いていて、いまも父と祖父のやり方を続けています。


畑の名前を書かないバローロ

畑ごとのバローロが流行していたころ、バルトロは「私たちの言葉にはクリュ(cru=特定の畑)という語さえない。フランスから借りてこなければならない」と言っていました。オキーフが記録した言葉では、「どの畑も毎年すばらしいわけではない。だから、香りと複雑さと釣り合いのために、違う場所に畑を持つことが大事なのだ」と説明しています。

合わせる畑の顔ぶれが、年によって変わることもあります。2023年にワイナリーを訪ねたワインライターの記事によれば、2019年に収穫したバローロにはサン・ロレンツォのぶどうが入っていません。木が古くなって植え替えたためで、2020年の分から戻るそうです。

2010年からは、バローロの決まりの上でも、ラベルに畑の地名を書き添えられるようになりました。それでもこの家のバローロのラベルに、畑の名前はありません。


代表的なワイン

バローロ(Barolo DOCG)は、四つの畑のネッビオーロを合わせてつくります。2023年の記事とオキーフによれば、ぶどうは内側をガラスで覆ったコンクリートのタンクで、温度を調整せずに発酵させ、皮と一緒に30日から60日ほど置きます。そのあと、焼き付けをしていない大きなスラヴォニア産オークの樽で3年、瓶でさらに1年ねかせてから売り出します。新しい樽はまず塩水で洗い、ドルチェットやバルベーラを入れて慣らし、1年半ほどたってからネッビオーロに使うそうです。

2023年の記事は、2019年のバローロを、色は淡く、バラと「タール」の香り(バラのほうが勝る)に、赤い果実やオレンジの皮、スパイスが重なり、渋みは絹のようになめらかだと書いています。

バローロのほかには、ドルチェット・ダルバ(Dolcetto d’Alba DOC)とバルベーラ・ダルバ(Barbera d’Alba DOC)をつくっています。どちらも、この土地の黒ぶどうドルチェットとバルベーラからつくる赤ワインです。2023年の記事によれば、2022年のドルチェットは木の樽で9か月ほど過ごしたものでした。バルベーラの畑は植え替えの最中で、2021年の分は買ったぶどうでつくり、自分の畑のぶどうに戻るのは2026年の収穫からだそうです。生産量は年に3万5,000本ほどで、その半分ほどがバローロです。

調査時点(2026年10月6日)に楽天市場で確認できた750ミリリットルの価格は、ドルチェット・ダルバの2023年が6,000円ほど、バルベーラ・ダルバの2022年が9,700円ほどでした。バローロを1本で売っていたのは、2010年代以前の年を扱う店だけで、8万5,000円から11万円ほどでした。


バローロの村で

公式サイトはありません(2026年10月6日時点で見つけられませんでした)。2023年の記事は、メールアドレスも持たず、1990年まで電話もなかったと伝えています。醸造所の場所を示すのは、壁の小さな表札だけだそうです。見学の受け付けについて公表された案内は確認できませんでした。

高台から見渡した、なだらかな丘の連なり。斜面はぶどう畑で埋まり、ところどころに農家と林がある
ラ・モッラの高台から見渡したランゲの丘(2018年7月)Christoph Strässler / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons(長辺1280pxに縮小)

バローロの村そのものは、バローロの記事で紹介しています。北どなりのラ・モッラの高台からは、マスカレッロ家の畑もあるランゲの丘を見渡せます。