グラヴネルのワイン一覧
グラヴネルとは?
グラヴネル(Gravner)は、北イタリアの東の端、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のオスラーヴィア(Oslavia)という小さな集落でワインをつくる家です。スロヴェニアとの国境に接する丘で、リボッラ・ジャッラ(Ribolla Gialla)という土地の白ぶどうを中心に育てています。
この家が知られているのは、白ぶどうを果皮ごと、ジョージアから運んだ素焼きの甕(かめ)に入れ、甕を土に埋めたまま発酵させるからです。ただ、若いころのヨスコ・グラヴネル(Joško Gravner)は、ステンレスのタンクやフランス製の小さな樽を次々にそろえた醸造家でした。その設備を一つずつ手放し、数千年前と同じ道具に行き着くまでの転機の一つが、1996年の夏に畑を襲った2度の雹です。
畑のある土地
オスラーヴィアは、ゴリツィア(Gorizia)の町の北にある集落で、コッリオ(Collio)と呼ばれる丘の上にあります。国境の東側ではブルダ(Brda)と呼ばれる同じ丘の続きで、公式サイトはこの土地を、アドリア海とジュリア・アルプスのちょうど中間にあると説明しています。国境は畑のあいだを通っていて、Decanter誌によれば、畑はイタリア側のルンク(Runk)と、スロヴェニア側のフム(Hum)、デドノ(Dedno)に分かれています。

この家の歴史は、国境の歴史と重なっています。公式サイトによれば、一家がいまの家と2ヘクタールの土地を買ったのは1901年です。第一次世界大戦では、オスラーヴィアで崩れずに残った家はこの1軒だけで、前線の兵士の救護所に使われました。集落の地名レンツオーロ・ビアンコ(Lenzuolo Bianco)は「白いシーツ」という意味です。向かいのサボティン(Sabotin)の山から撃っていた兵士たちが、遠目には干したシーツのように見えたこの家の白い壁を、的にしていたことから来ているそうです。
畑のなかには池が掘られ、オリーブや糸杉、野生のりんごの木が植えられています。公式サイトは、同じ作物ばかりを育てる農業で失われた釣り合いを、水と木と鳥で取り戻すためだと書いています。畑の作業の日取りは、月の満ち欠けと星の位置から農作業によい日を示した、マリア・トゥーン(Maria Thun)の暦で決めています。

歩み
Decanter誌によれば、ヨスコが家業に入ったのは1970年です。自信に満ちた若者だった彼は、古い樽をステンレスのタンクに替え、フランス産のオークの小樽(バリック)を入れ、新しい機械を次々にそろえました。香りが華やかで果実味のある白ワインは、イタリアのワインガイド『ガンベロ・ロッソ(Gambero Rosso)』で最高の評価を受け、1980年代にはこの地方で最も注目される造り手になっていました。
転機は1987年のカリフォルニアへの旅でした。評判の高いワインを数多く飲んでも心が動かず、自分のワインも同じだと気づいたと、娘のマテヤ(Mateja)は話しています。ヨスコはそこから設備を少しずつ手放していきます。公式サイトで本人は、手放したのはステンレスのタンクに始まり、バリックで終わったと書いています。張り切りすぎる息子を、父はいつか戻ってくると思いながら、ほほえんで見ていたそうです。
1996年6月19日と20日、2度の雹が畑を打ちました。公式サイトによれば、18ヘクタールの畑から秋に穫れたぶどうは2トンに届きませんでした。この年を一家は「失われた年」と呼び、同時に「考え直して、大きく変え始めた年」だったとしています。わずかに残ったリボッラを、ヨスコは赤ワインのように果皮と一緒に長く漬け込み、ぶどうにもともと付いている酵母だけで発酵させました。
できあがった琥珀色のワインは、すぐには受け入れられませんでした。本人がDecanter誌に話したところでは、ガンベロ・ロッソは「ヨスコ・グラヴネルはおかしくなった。戻ってきてくれ」という見出しを付け、海外の輸入元の半分以上が注文を取り消しました。
2000年、ヨスコはジョージアを訪ねます。この国には、クヴェヴリ(qvevri)と呼ばれる大きな素焼きの甕を地中に埋め、ぶどうを皮ごと発酵させる古いやり方が残っていました。翌2001年に最初の甕がオスラーヴィアに届きます。甕を埋める蔵がまだできあがっていなかったため、この年と翌年は一部を木の桶で発酵させ、公式サイトによれば、収穫したぶどうをすべて甕で発酵させたのは2003年からです。赤ワインは2006年から甕に移りました。

2012年の収穫のあと、ソーヴィニヨンやピノ・グリージョ、シャルドネの畑は抜かれ、白ワインのぶどうはリボッラだけになりました。その3年前の2009年には、跡を継ぐはずだった息子のミハ(Miha)がオートバイの事故で亡くなっています。Decanter誌の2018年の記事では、娘のマテヤとヤナ(Jana)が父とともに働き、ヤナが畑を受け持っています。
代表的なワイン
リボッラ(Ribolla)は、リボッラ・ジャッラだけでつくる白ワインです。地中に埋めたジョージアの甕で、果皮と一緒に漬け込みながら、温度を調節せずに発酵させます。皮と過ごすのは、Decanter誌によれば半年ほどです。搾ったあとさらに5か月ほど甕に戻し、そのあと大きなオークの樽で6年ねかせ、清澄も濾過もせずに瓶に詰めます。色は琥珀色で、販売店は、干したパイナップルや蜂蜜、杏の香りと、細やかな渋みがあると紹介しています。
販売店の表示では、リボッラは「ヴェネツィア・ジュリア(Venezia Giulia)IGT」です。IGTは、DOC(原産地呼称)より広い範囲の地名を名乗れる地理表示です。この丘にはコッリオDOCがあり、その生産規定はリボッラの白ワインの色を「麦わら色から濃い金色」と定めています。ワインジャーナリストのサイモン・J・ウルフ(Simon J Woolf)によれば、果皮と長く醸したこの地方の白ワインは、30年ほどコッリオの名を名乗れずにきました。そのコッリオの保護協会は2024年12月、果皮とともに醸した白ワインの区分を設ける案を賛成多数で可決しています。生産規定に反映されたかどうかは、本稿の調査時点(2026年10月)で確かめられていません。
赤ワインは2本あります。ロッソ・ブレグ(Rosso Breg)は土地の黒ぶどうだけでつくる赤ワインで、販売店の表示ではピニョーロ(Pignolo)100%です。ルイーノ(Rujno)はメルロに少しカベルネ・ソーヴィニヨンを加え、出来のよい年だけつくる赤ワインで、樽で4年ほど、瓶でさらに10年以上ねかせてから出しています。
調査時点(2026年10月6日)の楽天市場では、750ミリリットルのリボッラの2016年が1万6,000円から1万9,000円ほど、ロッソ・ブレグの2007年が2万8,000円から3万1,000円ほど、ルイーノの2005年が2万8,000円ほどでした。
訪ねるには
公式サイトによれば、訪問は希望の日時と人数を書いて依頼する形で、1回5人までです。畑と蔵の仕事から手が離せないため、いつも受け入れられるわけではないとしています。蔵が狭く傷みやすいことを理由に、14歳未満は受け入れていません(2026年10月6日時点)。ゴリツィアの町からは北へすぐで、国境を越えればスロヴェニアのブルダの丘が続いています。
