北条ワインとは?
北条ワイン醸造所(Hojyo Winery)は、鳥取県の中部、東伯郡北栄町(ほくえいちょう)の松神(まつがみ)にあるワイナリーです。ワインは「北条ワイン」の名前で出ています。
畑があるのは、日本海に沿って延びる北条砂丘です。JR西日本の広報誌によれば、砂丘は東西12キロ、南北1.8キロほどの広がりがあり、中国山地の花崗岩が風化した砂が川で運ばれ、海岸に打ち上げられて風に寄せられてできました。醸造所はこの砂地に21ヘクタールほどのぶどう畑を持ち、9種類のぶどうを育てています。会社は、この砂地を「世界的にも珍しい土壌」と書いています。
砂丘の砂で育つぶどう
北条砂丘の土は、手に取るとさらさらとこぼれる砂です。会社は、砂地なので水はけがとてもよく、日差しの照り返しが強く、昼と夜の温度差が大きいことを、ぶどうに向いた条件として挙げています。広報誌は、畑に与える水は雨水だけで、そうして育てると味も色も濃いぶどうになると紹介しています。夏の日照時間が長く、葉が雨にぬれても海風が乾かすので病気になりにくい、とも書いています。
畑は海のそばにあって標高が低く、会社は「鉱物的なミネラル感」は出ないかわりに、「海のミネラル感」のあるぶどうとワインになると説明しています。
この砂丘でのぶどう作りは、江戸時代の末にさかのぼります。会社の年表によれば、1856年、甲斐の国(いまの山梨県)から甲州の苗木が1本、下北條村弓原(いまの北栄町弓原)の豪農の屋敷に持ち込まれました。その木はのちに別の人に譲られて育てられ、1959年の伊勢湾台風で傷んで、数年後に切られたといいます。その後、下北條村では果樹の栽培が盛んになり、1936年には大阪の寿屋(いまのサントリー)が、ワインの原料として北條のぶどうを225トン買い取りました。1950年には、北條の甲州が中国・九州地方の市場を「独占」していたと年表は書いています。1953年の4月には寒波による霜で、ぶどうの6割ほどがだめになり、このときに岡山から黒ぶどうのマスカット・ベーリーA(Muscat Bailey A)が持ち込まれました。
歩み
醸造所の始まりは、ワインではなく酒石酸(しゅせきさん)です。創業者の山田定傳は、第二次世界大戦のさなかの1943年に酒石酸の工場を作り、1944年に弟と一緒にぶどう酒の醸造免許を取って「北条ワイン醸造所」を興しました。会社の説明では、ワインを造る過程でできる酒石酸の結晶は兵器の部品に欠かせないもので、軍需省の命令で作ったといいます。戦後、この工場がワインの醸造所になりました。広報誌は、1944年の創業のときから使われているワインの貯蔵庫が、いまも現役だと伝えています。
1950年代には甘口の白ワイン「三拍子」を売り出しました。1991年には初めての新酒(ヌーヴォー)を2,000本出し、1999年からは酸化防止剤を加えない新酒を出しています。2000年に「砂丘」、2012年には初めてのスパークリングワイン「トットリSKY」が生まれました。
2016年の鳥取県中部地震では、720ミリリットルの瓶に直して4万本ほどのワインを失い、蔵そのものも大きな被害を受けました。2025年に創業80周年を迎え、いまは創業者の孫にあたる3代目の山田和弘が代表を務めています。会社は創業のときから「量にはこだわらず、地元産葡萄にこだわり、より良い品質を求め価値のあるワインを造る」という考えを掲げています。
代表的なワイン
トットリSKYは、甲州から造る泡のワインです。瓶の中で13年熟成させたもので、会社は、厚みのある味わいに丸い酸と甲州らしい心地よい苦み、きめの細かい泡、長く上品な余韻があると説明しています。
「スタンダード」の白ワインは甲州から造ります。淡い麦わら色で、きりっとした酸がありながら口当たりは柔らかいと説明されています。会社は「他県の甲州種とは違い、個性を感じられます」と書いていて、広報誌はこの白ワインに塩気や香りを感じると紹介しています。
「砂丘」の白ワインはシャルドネ(Chardonnay)の辛口で、熟したグレープフルーツの香りに、ほのかな樽の香りがあるとされています。同じ「砂丘」の名前で、カベルネ・ソーヴィニヨン(Cabernet Sauvignon)の赤ワインもあります。
秋には北条ヌーヴォが出ます。その年に北条砂丘で穫れたぶどうで造る新酒で、中身は年ごとの天候で変わります。
調査時点(2026年11月3日)の公式オンラインショップの税込価格は、トットリSKY(750ミリリットル)が4,800円、「スタンダード」の白ワイン(720ミリリットル)が1,980円、「砂丘」は白ワイン(2023年)も赤ワイン(2021年)も4,400円でした。このうち「スタンダード」と「砂丘」の白ワインは、この日は在庫切れでした。

